【長編小説】妖狐の娘の道すがら-ミレハ帰郷記・序- 第29話:大地の大通り

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 カラカラと荷馬車の車輪が動く音が聞こえてくるほど、周りは静寂に包まれている。左右は見渡す限りの大農場、ここから南側に行くと海運業の盛んな騎士団諸国があり、魚介だけでなく外国の特産品が市場に並べられる。
 その市場で行商人や町商人などが競りを行い、消費者の元へ品物が届く。
 取引には基本的に金銀銅に分けられた貨幣が用いられ、このセクバニア騎士団国連合に属する国の間では金貨1枚が銀貨100枚、銅貨1万枚の価値がある。
 そうなると気にするのは銅貨や銀貨の不足だが、この国の北側には沢山の山々が存在し、銅鉱や銀鉱が非常によく採れる。その数量は金鉱のおよそ10倍。
 採掘師たちの監視機関であり労働組合でもある、採掘師団からの情報では向こう500年は十分に資源があるため、貨幣の純度落ちを両替商たちでさえ気にしていないそうだ。
 ミレハは疲れからなのか荷台の上でぐっすりと眠っている。
「暇だな。モノの最後の文字から別のモノを連想していく遊びをするか」
 ローゼンが荷馬車の綱を引くタタラを誘う。
「何それ面白そうだね。例題出してくれるかい?」
「そうだな…ダイヤウルフと私が言ったら、お前がフから始まる言葉を何でもいいから言うわけだ」
 タタラは少し考えるとフロントタートル、というセクバニア南部の海岸に生息する全長1メートルにもなる亀を口に出す。
「こういう事だね?」
「そういう事だ。じゃあ始めるぞ」
 家畜の鳴き声が聞こえ、長閑そのものの道を行く馬車の上で、夫婦の些細な戯れが始まった。
「ル…ルビーゴーレム」
「ム、難しいね…ム…ムランヒヒ」
「ムランヒヒなんてよく知っているな」
 ムランヒヒはイシュバリア島の南部の中のごく限られた地域でしか生息していない猿の仲間で、その外見的特徴と言えば体を覆う酷く尖った薄緑色をした毛である。
「君がイシュバリアのどこにいるか分からなかった時、迷った挙げ句に襲われそうになってね。”良い思い出”だから調べてたんだ。君のほうは逆に誰でも知ってるような生物だよね。そもそもゴーレムを生物というのかは未だに研究者の中でワーワーやってるんだろうけど」
「あれは生物…いや、もはやエーテルが生み出した自然の結晶だ。ゴーレムたちほど生命力にあふれている存在はこの世に存在しないだろうと私は思う。…ヒ、だな。ヒエリオン」
 ローゼンが言った生物名にタタラは笑う。
「駄目だよローゼン、空想上の生物を言ったらキリがなくなってしまう」
「空想ではない。私はちゃんとこの目で見ていたし、昔飼っていたからな」
 タタラは得意げに話すローゼンに対して飼っていた事に驚いた。
 話すだけならまだしも飼っていたのなら文句のつけようがない。
 ヒエリオンとは書物上でしか存在が確認されていないとされるガゼル系の幻獣の事で、その肉を食べると最強の肉体が得られる事や血を飲むと寿命が延びるといった伝説じみた話がよく出る事で知られている。
「じゃあ伝説は本当なのかい?」
「ああ、あんなもの人間の考えた妄言に過ぎん。むしろ逆だ。肉を食えばたちまち毒によって筋肉が硬直、心臓停止で死に至るし、血を飲むと即死だよ。エメラルドのような外見をしているからそんな迷信が出るんだろうが、警戒心の強いヒエリオンは体内に強力な猛毒を住まわせているんだ―――あ。」
 ヒエリオンについて説明している間でローゼンは自分が犯した重大なミスに気づく。
 澄まし顔でいれば気づかれるはずもない。
「ンから始まる言葉ってないと思うんだけど、この場合はどうなの?」
「ああ、ンの前からになるんだ。オンから続く言葉でな」
 ふと馬車が止まるとローゼンは周りを見る。
 異常が起きたわけでもない。
 しかしタタラはじっと彼女のほうを見る。
「顔に最後が”ン”で終わったら終わりって書いてあるよ」
「嘘つけ、私が顔に自分をミスを露出させるなんてそんなヘマをするわけ―――」
 ローゼンは考えずとも察した。
「僕の勝ちだね」
 タタラは特に意地悪をするわけでもなく、口元を緩ませたまま正面を向くと再び馬車を進め始める。
「お前。鎌をかけたな…」
「君、顔に出さないようにする時が露骨なんだ。普段のままの無表情であればいいのに、嘘をつく時は少し顔が強張る。付き合いの長い僕くらいしか分からないほんの微妙な変化だけどね」
 タタラは何の恥じらいもなくまるで独り言のように。
「それほど私の事が大好きって事だな」
「うん。好きだよ。じゃなきゃ君みたいな危なっかしい人の隣を歩くなんて正気の沙汰とは思えない」
 ローゼンの右手がタタラの左手に覆われる。
 顔に似合わずゴツゴツとした男らしい手だ。
 その行動にローゼンはフードを深く被り口元に笑みを浮かべながら鼻で笑う。
「だがお前は弱いからな。私が守ってやらねばなるまい」
「それ口癖かい?」
「ああ、たった今口癖になった」
変わり者だね、と笑うタタラ。
 ゆっくりと日差しが弱まり、日が地平線と重なり橙色の光を放つ。
「お前は私とずっといる気か」
 ローゼンはふと思いついた事を尋ねる。
「え、浮気したら命が危ないからそんな事しないよ」
「違う。私がいなくなった時の話だ」
「何を急に―――」
 タタラが左を向くといつもになく真面目な視線をローゼンが向けてきた。
「答えろ」
 カラカラと音を立てる車輪。
 それだけの音がいつまで聞こえただろうか。
 ようやくタタラは口を開くと最初に笑い声が漏れた。
「君がいなくなったら新しい嫁探しの旅にでも出ようかな。ミレハを連れて」
 ローゼンが彼と会って何度も見てきたはにかんだ笑顔。
「全く―――嘘が得意だな貴様は」
「もちろんさ。浮気してもバレない自信がある」
「たわけ」
 娘が眠っている間にだけ作れる夫婦の時間。
 ローゼンはまた俯き、タタラに暫く寝ると伝える。
 長い年月を生きているローゼンは今この瞬間、数十年ぶりの幸せをフードの奥で噛みしめたのだった。

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